行田市手話言語条例
復元された御三階櫓(現・資料館。最上階の4階は展望台)
2017年12月20日、行田市議会は、行田市手話言語条例案を可決した。施行は、2018年4月1日。
同様の条例は、埼玉県では、埼玉県、朝霞市、三芳町、富士見市、三郷市、桶川市、ふじみ野市、久喜市、熊谷市、川口市、蓮田市、秩父市が制定している。
全国では14県89市13町の計116自治体(2017年12月20日現在)。
条例は、「手話は言語であるとの認識に立ち、ろう者への理解を深め、相互に人格と個性を尊重し、安心して幸せに暮らすことができる共生社会の実現を目指」し、そのため、「私たち一人ひとりが手話に対する理解に努めるとともに、ろう者が手話を使用しやすい環境づくりを推進していく」としている。
室町時代中期の文明年間に成田氏によって築城されたと伝えられ関東七名城にも謳われる江戸時代の忍藩10万石・忍城(おしじょう)の城下町である埼玉県行田(ぎょうだ)市は、北は利根川を境に群馬県と接する。ほぼ全域が利根川と荒川の沖積平野であり、土地の高低差がほとんどない平らな地形である。
今も日本一の足袋(たび)産地として知られている。行田足袋の始まりは約300年前。武士の妻たちの内職であった行田足袋は、やがて名産品として広く知れ渡ったという。
今も行田の裏通りを歩くと、土蔵、石蔵、モルタル蔵など多彩な足袋の倉庫「足袋蔵」等歴史的建築物(市中心街に現存する足袋蔵は79棟)が姿を現し、趣きある景観を形づくっており、「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が日本遺産に登録されている。
また、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳をはじめ、日本最大の円墳である丸墓山古墳など、9基の大型古墳が群集する「埼玉古墳群」を有し、埼玉県名発祥の地として知られている。
2017年10月期のTBSテレビ日曜劇場『陸王』の放映で、一躍有名になった。
行田市の人口は、82,106(男;40,794/女;41,312)人、34,401世帯(2017年12月1日現在)。
行田市の障害者手帳交付状況は、身体障がい者が2,666人で、総人口84,870人に占める割合はおよそ3.1%、知的障がい者は522人で、およそ0.6%、聴覚・平衡障害者203人およそ0.2%となっている(2014年3月末現在)。
行田市手話言語条例 公布;2017年12月20日 施行;2018年4月1日 手話は、ろう者が手、指、体の動き、表情を使って視覚的に表現する言語である。 手話は、ろう者の間で大切に受け継がれ、発展してきたが、一方で長い間、手話は言語として認められず、ろう者は様々な不便や不安を感じて暮らしてきた。 こうした中、障害者の権利に関する条約や障害者基本法において、言語に手話を含むことが明記されたが、いまだ手話に対する理解は、社会において深まっているとは言えない。 このため、私たち一人ひとりが手話に対する理解に努めるとともに、ろう者が手話を使用しやすい環境づくりを推進していくことが重要である。 ここに、私たちは、手話は言語であるとの認識に立ち、ろう者への理解を深め、相互に人格と個性を尊重し、安心して幸せに暮らすことができる共生社会の実現を目指し、この条例を制定する。 (目的) 第1条 この条例は、手話が言語であるとの認識に基づき、市の責務並びに市民及び事業者の役割を明らかにすることにより、手話への理解及び手話の普及の促進を図り、もって市民が共に生きる地域社会の実現に寄与することを目的とする。 (基本理念) 第2条 手話への理解及び手話の普及の促進は、ろう者の意思疎通を行う権利を尊重して行わなければならない。 (市の責務) 第3条 市は、前条の基本理念にのっとり、市民の手話に対する理解を深め、手話を使用しやすい環境の整備をするため必要な施策を講ずるものとする。 (市民の役割) 第4条 市民は、手話への理解を深め、市が実施する施策に協力するよう努めるものとする。 (事業者の役割) 第5条 事業者は、手話への理解を深め、市が実施する施策に協力するとともに、ろう者が利用しやすいサービスの提供及び働きやすい環境の整備を行うよう努めるものとする。 (災害時の対応) 第6条 市は、災害時において、手話を必要とする人に対し、情報の取得及び意思疎通の支援に必要な措置を講ずるよう努めるものとする。 (方針の策定) 第7条 市は、次に掲げる事項を総合的かつ計画的に推進するための方針を策定するものとする。 (1) 手話への理解及び手話の普及の促進に関すること。 (2) 手話による意思疎通の支援に関すること。 (3) 手話による情報の発信及び情報取得に関すること。 (4) その他市長が必要と認めること。 2 市は、前項の方針の策定に当たっては、障害者の福祉に関する計画等との整合性を図るものとする。 (関係機関等との連携協力) 第8条 市は、手話の普及その他手話を使用しやすい環境の整備に当たっては、関係機関及び関係団体との連携協力を図るものとする。 (財政上の措置) 第9条 市は、手話に関する施策を推進するため、必要な財政上の措置を講ずるよう努めるものとする。 附
則 この条例は、平成30年4月1日から施行する。 |
足袋蔵のまち行田に脚光 日本遺産認定足掛かりに観光本腰(2017年6月4日配信『東京新聞』)
産地として300年の歴史を誇る行田の足袋
文化庁が認定する本年度の「日本遺産」に行田市の「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が選ばれ、観光客の受け入れ態勢整備に向けた議論がスタートした。足袋の話題では、市を舞台にした足袋メーカーの奮戦を描いた池井戸潤さんの小説「陸王」がテレビドラマ化される計画もあり、「市の活性化や観光振興に絶好の追い風」(工藤正司市長)と関係者らは期待を膨らませている。
日本遺産は、文化庁が2015年度から始めた新しい認定制度。地域に点在する有形・無形の文化財や伝統文化などをまとめてストーリー仕立てにしたものを認定する。文化財そのものが対象ではない。
本年度分は4月下旬に発表され、三重、滋賀両県の「忍びの里 伊賀・甲賀」など17件が認定された。足袋蔵のまち行田はそのうちの1件で、県内での認定第1号となった。
「この好機を生かし、交流人口や街のにぎわいを拡大し、活性化につなげたい」。市内で開かれた祝賀セレモニーで、工藤市長はそう抱負を語った。
行田の足袋生産は約300年前の江戸時代中期に始まった。ピークは1938(昭和13)年ごろ。当時は約200軒の工場や事業所が市内に軒を連ね、年間生産量は8400万足と、全国の約8割を生産していた。
戦後、ナイロン靴下の普及で、足袋生産はピーク時の6分の1以下に激減。現在でも全国トップの産地だが、足袋や関連部材を市内で製造する事業者は8軒にすぎない。
過去2回、日本遺産の認定を逃してきた市が今回認定を勝ち取ったのは「足袋蔵」に焦点を絞ったためだ。市教委文化財保護課長の中島洋一さんは「蔵のある街は全国にたくさんあるが、足袋蔵は行田だけ。オンリーワンが高く評価された」と分析する。
日本遺産で認められたストーリーを構成する文化財は計39件。このうち26件・56棟が足袋関連の建造物で、足袋蔵は37棟を占める。
商品倉庫として利用された足袋蔵は明治から昭和30年代前半まで建設され、市中心街に現存する足袋蔵は79棟。原材料を保管しやすいよう中央の柱が少なく、通気性を高めるため床を高くしているのが特徴だ。中島さんは「今回の認定はゴールではなく、新しいスタートにしたい。市内に残る足袋蔵をどう保存し、有効活用していくかを議論し、実行に移していければ」と話している。
5月末、市や商工会議所など14団体がつくる推進協議会が発足。観光客の「おもてなし」態勢の整備などを中心に、案内板の設置や足袋蔵ガイドの養成、土産物の充実などのアイデアが出された。
埼玉県行田市「陸王」ブームで経済効果は月10億超(2017年12月25日配信『日刊スポーツ)
TBS系日曜劇場「陸王」(日曜午後9時)が、人口8万3000人の地方都市・埼玉県行田市を変えた。ドラマや映画の長期ロケを招致したことが1度もなかった同市が、環境経済部商工観光課を中心にロケ地探しや道路を封鎖してのマラソンシーンの撮影など全市民を挙げて撮影をバックアップした結果、ロケ地めぐりに足を運ぶファンが殺到。グッズ購入などによる市の経済効果は、24日の最終回放送の段階で1カ月あたり10億円超えが確実という試算もあるという。
ごった返す3000人超のエキストラと俳優陣
最終回の放送2日前の22日に、最後の撮影が行われた行田市産業文化会館には、最低気温が氷点下1・9度と冷え込む中、早朝から多くのエキストラが集まり、長蛇の列をつくった。同局関係者によると、その数は最終的に3000人を超えた。行田市環境経済部商工観光課の森原秀敏課長は「物語の舞台となった町として、全市民を挙げて、何としてもドラマの撮影を成功させたかった」と感慨深げに語った。
行田市は、12年の映画「のぼうの城」の舞台となった忍城(おしじょう)で知られ、合戦シーンも撮影されたが、わずか1日だけで「4カ月に及ぶ長期ロケを受け入れたのは『陸王』が初めて」(森原課長)だった。市街地の最寄りの秩父線行田市駅は、東京駅から約71キロと離れている上、平日朝の通学、出勤時間帯は1時間に5本、運行されているものの、少ない時は1時間に1、2本程度しか運行されておらずアクセスが悪い。「のぼうの城」以降は撮影などのオファーは0。撮影の誘致、支援を行うフィルム・コミッションは全く機能していない状態だったという。
その中、行田市に「陸王」撮影の話が舞い込んだ。ロケの拠点が行田市になることを受けて、7月上旬から商工観光課を中心に関係者が市内各所でロケ現場を探し、地元企業、関係者に協力を要請し続けた。作品の中心的な場面となった、こはぜ屋の作業場は、市内の倉庫業者に倉庫を借りた。偶然、撮影が行われるタイミングで半年、空いており天井を取り払って作業場を作らせてもらった。
行田市では9月2日のクランクイン後、大規模ロケ12回をはじめ、こはぜ屋、倉庫などを使ったロケが連日、行われた。そのたびに市民をはじめとしたエキストラ、ファンが足を運んだ。役所広司(61)が演じた四代目社長・宮沢紘一が、試作品の陸王を履いて走った水城公園、行田市民駅伝のシーンに登場した忍城、こはぜ屋の外観として登場したイサミコーポレーションスクール工場など、主要なロケ地の多くは市街地に点在しており、エキストラ、観光客は市内のロケ地、観光地をめぐり、市内の「足袋とくらしの博物館」は、前年比5倍の観光客が訪れた。森原課長は「土日、人が歩いていなかった町に若者がバンバン、歩くようになった。ガラガラだった秩父線の車内も満員です」と笑みを浮かべた。
行田市商工観光課は、10月15日に1話が放送された時点で、1カ月あたり約1億5000万円以上の経済効果が市にもたらされるという試算を一部関係者から得ていた。その後、物語が進む段階で盛り上がりは加速度的に増し、劇中に土産物として登場した「たび煎餅」と、埼玉銘菓「十万石まんじゅう」が大ヒット。「たび煎餅」を販売する、行田市で1929年(昭4)創業の戸塚煎餅店が発売した「陸王たび煎餅」は、煎餅の焼きが追いつかなく、店舗での購入も1週間待ちだという。
さらに「十万石まんじゅう」を生産、販売する十万石ふくさやが発売した「陸王」の焼き印が入ったコラボ商品も大好評で、工場は24時間フル稼働だという。そうした一連の動きを加味し、行田市全体の経済効果は1クール10話終了の段階で1カ月あたり10億円を超えることが確実視されており、周辺の自治体にも波及しているという。
森原課長は、そうした経済効果以上に「全ての市民、エキストラの皆さんが全力で撮影に携わってくださったおかげで、『陸王』を通じて市民の一体感が生まれ、何もなかった田舎の町が活気づいた」と強調した。行田市ではマラソンシーンのロケが9回、行われ、そのたびに市内の道路を封鎖したが、市民からの苦情は1件もなかったという。ロケ現場でエキストラと市民が語り合い、何度も撮影に参加し、制作陣を含めて顔見知りになった人の輪が広がったという。クランクアップ後、役所ら俳優陣が現場を後にして1時間がたっても、福沢克雄、田中健太両監督をはじめとしたスタッフと歓談したり、サインを求める市民、エキストラの列が続いた。
行田市は今回の実績、経験を元に、今後もドラマ、映画の撮影を積極的に誘致し、町おこしを進めていきたいという。森原課長は「『陸王』がなければ、行田の名前を全国に広げることは出来なかった。この成功をきっかけに、市は勉強させていただき、体力も付いた。市民の機運も高まっている。今後は積極的に撮影を誘致する後押しと並行し、民間の力なくしては出来ないので、やる気のある市民の力による町づくりを進めるための何かを作りたい」と力を込めた。そして、かみしめるように言った。
「全ての行田市民、市にとって『陸王』は、行田市の永久の宝物です」