ろうあ連盟:群馬に記念碑…創立70周年

 

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伊香保温泉街中心地に建てられた記念碑(群馬県渋川市伊香保町の市の所有地)除幕式での石野理事長ら

群馬県渋川市伊香保町伊香保1367(伊香保総合支所前の信号交差点角)

 

 記念碑は、耳が聞こえない「ろう」を示す手話をモチーフにし、数多く描かれた白い「点」は、聴覚障害者の地位向上や手話の普及などに努めてきた先人たちをイメージしている。

 

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「ろうあの世界を一つに」

 戦後の混乱が冷めやらぬ1947(昭和22)年5月25日、全国から「われらの組織」をという思いを胸にたぎらせた約200名のろうあ者たちがこの地に集結した。

 そして、昼夜にわたる議論の末、ろうあ者の生活や権利の擁護を目的に、「ろうあ者による、ろうあ者のための、ろうあ者の組織」の立ち上げを決議した。

 かくして、全てのろうあ者が待ち望んでいた全日本ろうあ連盟は、ここ群馬県伊香保温泉の地で創立された。

 

 群馬県前橋市で「第63回全国ろうあ者大会inぐんま」が開かれている中、創立70周年を控えた「全日本ろうあ連盟」の発祥地・伊香保温泉(群馬県渋川市伊香保町)で2015年6月11日、記念碑の除幕式があり、参加した関係者が「聴覚障害者の自立や社会福祉発展を誓う」と思いを新たにした。

 

 全日本ろうあ連盟の石野富志三郎理事長は「手話は命。この記念碑には先人たちの思いが詰まっている」「きょうは連盟にとって忘れられない1日になると思います」とあいさつした。

 

続いて除幕が行われ、集まった人たちは「拍手」を示す手話で喜びを表した。

 

「記念碑」デザインコンペ』で選ばれた碑は、茨城県の国立大学法人筑波技術大学総合デザイン学科に通う聴覚に障害がある大学生の町田陽伽(まちだ はるか)・日影舘美樹(ひかげだて みき)・小國雅治(おぐに まさはる)さんら3人が「歴史」「現在」「未来」をデザインとして考えたもので、耳が聞こえない「ろう」を示す手話をモチーフ(創作の動機となった主要な思想や題材)にし、数多く描かれた白い「点」は、聴覚障害者の地位向上や手話の普及などに努めてきた先人たちをイメージしている。

 

群馬県聴覚障害者連盟の早川健一理事長は「記念碑を多くの人に見てもらうことで、聴覚障害者への理解を深めていきたい」と話した。

 

記念碑は、連盟の結成大会が1947(昭和22)年に開かれた伊香保の「ホテル木暮(当時・木暮旅館)」敷地内と温泉街中心部の渋川市の所有地の2カ所に建てられ、この日は相次いでお披露目された。

 

聴覚障害者が処遇改善を求める機運は太平洋戦争終結後に高まり、木暮にも全国から200人ほどが集まり、当時は地域差もあった手話で運動方針などを議論。連盟は翌1948年に正式発足した。

もっとも、戦前にも1915(大正4)年、東京聾唖(ろうあ)学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校、同聴覚特別支援学校。文部省直轄の訓盲唖院〈くんもうあん〉を改称して設立された。1909〈明治42〉年に盲教育部門が東京盲学校として独立したため、その翌年に東京聾唖学校と改称)の同窓会メンバーが集まり結成した「日本聾(ろうあ)協会」という聴覚障害者団体はあった。全国のろう者にとっては、集まって手話でコミュニケーションをとることが楽しみだったが、第2次大戦中、戦時統制の名目で協会は解散させられた。「当時ろう者は『かわいがられるろう者になりなさい』という教育を受け、権利や要求を出しにくい状況だった」という

 

 戦後、一人ひとりが文通を重ねたきたろう者のなかから全国組織結成の機運が生まれた。障害者ということで断る旅館が多い中、集まることを快諾したのが当時の木暮旅館だった。終戦後で東京は荒廃し、旅館があって全国から集まりやすい伊香保温泉が選ばれた。ろう者らは、全国各地の駅で汽車に乗るため徹夜で並んで切符を買い、米や野菜を持ち寄って伊香保温泉に集まった。

 

その2年の1950年に、当時の厚生省(現・厚生労働省)の下で、法人化(現在は、日本の福祉法に基づく財団法人)が認められた。

 

以来、連盟の運動が国の制度を変えてきた。1979年には、住宅ローン利用などを認めていなかった民法が改正され、1989年には手話通訳士の認定制度が整った。

 

運転免許は2008年、ワイドミラーと聴覚障害者マーク装着を条件に聴覚が全くなくても取得可能になった。結成当時19歳だった前橋市の三輪威二(たけじ)さん(87)は「ろう者が運転できるなんて考えられなかった。伊香保で始まった運動の火を絶やさないでほしい」と話した。

 

なお、除幕式の様子は、手話と字幕の番組「目で聴くテレビ」(CS放送)で特別生中継された。

 

記念碑は2か所ある。

 

@ホテル小暮 第1駐車場

住所:群馬県渋川市伊香保町伊香保135

 

 

 

A渋川市の所有地

群馬県渋川市伊香保町伊香保1367(伊香保総合支所前の信号交差点角)

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記念碑の案内板について

 

 

全日本ろうあ連盟結成の地 伊香保温泉

 

敗戦の余波冷めやらぬ中、ここ群馬県伊香保温泉に、「聾唖(ろうあ)の世界をーつに」という思いを抱いで、約200名のろうあ者が全国から集まり、全日本ろうあ連盟は結成されました。

昔、ろうあ者は「オシ」「ツンボ」と蔑(さげ)まれ、不具廃疾者の扱いを受け、差別されてきました。明治の初めに京都や東京で襲学校が開校され、大正に入ってからようやく全国各地でも開校されていき、これらの聾学校を卒業したろうあ者が集まって作った同窓会が、ろうあ者の組織の始まりと言われています。

このようにして作られた各地の同窓会が中心となり、大正4年に日本聾唖協会を発足させましたが、第2次世界大戦が激化するにつれ、戦時統制の名目のもとに団体活動を停止させられました。

戦後の荒廃の中、ろうあ者の組織の再建に向けて、後に全日本聾唖連盟(当時の名称)初代連盟長となる藤本敏文を中心に「ろうあ者の世界をーつに」と全国に散り散りとなっていたろうあ者に呼びかけ、木暮旅館 (現ホテル木幕) に約200名が馳せ参じ、全日本襲唖連盟の結成に向けで 「全国聾唖団体代表協議会」が開かれました。

戦後の間もない時であり、食糧難が続き、交通機関も混乱状態でしたが、各々が米を持ち寄り、徹夜で並び汽車の切符を購入し、汽車も芋の子を洗うような混雑ぶりの中、長時間揺られ、やっとの思いで渋川駅に辿り着くという時代に、全国から馳せ参じたろうあ者の苦労は如何ばかりであったかと、その苦労が偲ばれます。しかし、各々の胸中に、組織結成への熱い思いがたぎっていたに達いありません。

全国襲唖団体代表協議会の討議は沸騰し、深夜まで12時間に渡る激論だったと伝えられます。激論の末、各団体の自治活動を主体とし、ろうあ者の福祉、文化の向上を目指し活動するという方向が定められ、役員を選挙で選出し、役職のすべてをろうあ者が担うという、「ろうあ者による、ろうあ者のための、ろうあ者の組織」として、全日本聾唖連盟が結成されることになりました。

かくして、ここ群馬県伊香保温泉の地にて、 「すべてのろうあ者が持ち望んでいた 『われらの組織』 は、昭和22年、ついによみがえった」(全日本聾唖連盟第2代連盟長大家善一郎著『回想』より)のです。時に昭和22年5月25日のことでした。

そして、先人たちの思いは今も引き継がれ、ろうあ者の人権を尊重し文化水準の向上を図り、その福祉を増進するために、全日本ろうあ連盟は躍進しています。

制作 一般財団法人 全日本ろうあ連盟

 

 

記念碑は、ここ群馬県伊香保温泉が全日本ろうあ違藍の結成の地であることを記念し、2015(平成27)年6月11日に群馬県にて第63回ろうあ者大会が関催されたのを機にこの地に建立したものです。

記念碑は、「歴史」「現在」「未来」を三つの形で表現しています。

「歴史」は先人たちの積み重ねらたものが私たちの今と未来を支え、「現在」 は、眼と耳を意味する球体と空聞で、ろう者が情報をつかみ、発信し、聴覚障害や手話に対する理解を広げ、社会の障壁をなくし、「末来」は上へ向かい成長してゆく力強さにより、明るい未来を開いています。

「歴史」「未来」を「聾Iという手話に見立て、ろう者のアイデンティティを表見し、 ろう者が未来へと希望を持って進んでいく姿を表現しでいます。

 

 

 

 

 

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