群馬県渋川市;手話言語条例 2010年には、国連障害者権利条約(2006年採択)に、手話が言語である旨が明記され、国内では障害者基本法が2011年に改正され(同年8月5日公布・施行)、手話が「言語」(言語(手話を含む)」)であると明記された後、全国で手話条例の制定の動きが広がっている中、2016年12月12日、群馬県渋川市議会は、渋川市手話言語条例案を可決した。 施行は、2017年4月1日。 渋川市手話言語条例制定推進協議会で条例案を策定し、2016年9月26日〜10月25日までパブリックコメントを実施した。 条例は、前文で「渋川市は、全日本ろうあ連盟発祥の地である伊香保(温泉)を有する地」と宣言、第2条で「手話は、ろう者のいのち」と規定してたうえで、「手話は、大切に受け継いできたものであって、音声言語と異なる独自の言語体系を持ち、豊かな人間性を養し、及び知的かつ心豊かな社会生活を送るための言語活動の文化的所産であると理解するものとする」と規定している。 また条例は、「手話に対する市民の理解の促進を図り、手話の普及及び手話を使用しやすい環境の整備に努める」義務を、市に課している。 群馬県では、群馬県手話言語条例が2015年4月1日に、前橋市手話言語条例が2016年4月1日に、中之条町手話言語条例が2016年6月20日にそれぞれ施行され、みどり市手話言語条例が2017年4月1日に施行される。 条例案が可決されると、傍聴したろう者は喜びを手話で伝え合い握手を交わした。全日本ろうあ連盟スポーツ委員会の倉野直紀事務局長は「ろう者にとって特別な地の渋川で条例が制定されたのは、大変意義がある」と感慨深げに語った。 創立70周年を控えた「全日本ろうあ連盟」は、発祥地・伊香保温泉(群馬県渋川市伊香保町)で2015年6月11日、記念碑の除幕式があり、参加した関係者が「聴覚障害者の自立や社会福祉発展を誓う」と思いを新たにしている。 記念碑は、連盟の結成大会が1947(昭和22)年に開かれた伊香保の「ホテル木暮(当時・木暮旅館)」敷地内と温泉街中心部の渋川市の所有地の2カ所に建てられ、この日は相次いでお披露目された。 聴覚障害者が処遇改善を求める機運は太平洋戦争終結後に高まり、木暮にも全国から200人ほどが集まり、当時は地域差もあった手話で運動方針などを議論。連盟は翌1948年に正式発足したのである。 渋川市は、日本そして群馬県のほぼ中央部、雄大な関東平野の始まる位置にあたり、古くから宿場町として、近代でも県内の交通の要衝として栄えてきた。豊富な水資源を活かした工業、山地の開拓による農業や、首都圏の奥座敷となる伊香保温泉を抱え、観光業が盛んである。 市の南側は県都前橋市に隣接し、東京都心まで120キロメートル(関越自動車道渋川伊香保IC)利用で約2時間、JR上越線及び新幹線利用で(約1時間10分)の距離にある。 渋川市の人口80,025人(男39,169/女40,856)、32,063世帯(2016年12月5日現在)。 渋川市の聴覚・平衡機能障害者数(身体障害者手帳交付数)は、304人(2015年3月末現在)。 渋川市では、「おりづるの会」と「あじさいの会」が手話サークルとして活動している。
声を上げることが禁じられている市議会の傍聴席を…(2016年12月25日配信『上毛新聞』−「三山春秋」) ▼声を上げることが禁じられている市議会の傍聴席を、たくさんの言葉が飛び交っていた ▼県内4例目の手話言語条例案が審議された12日の渋川市議会でのことだ。市内外の聴覚障害者団体関係者ら30人以上が傍聴席を埋めて、手話通訳される議事を見守った ▼手話を言語として認めて普及を図る同条例案が可決されると、傍聴者たちは喜びを手話で伝え合い握手を交わした。全日本ろうあ連盟スポーツ委員会の倉野直紀事務局長は「ろう者にとって特別な地の渋川で条例が制定されたのは意義がある」と感慨深げだった ▼同市の伊香保温泉に終戦後間もない1947年、ろう者約200人が全国から集まって全日本ろうあ連盟を結成した。ろう者が自らの手で人権を守る運動の出発点とされる。昨年、本県で開かれた同連盟の全国大会に合わせて温泉街に記念碑が立てられた ▼日本では戦前戦後の長い期間、唇の動きから相手の言葉を読んで、口で発音することを学ばせる「口話教育」が、ろう学校などで進められた。しかし、ろう者たちは手話を重んじ、大切に受け継いできた ▼伊香保の記念碑に刻まれた無数の白い点は、苦難の中で、ろう者の地位向上や手話普及に努めた先人たちを表すという。条例制定の喜びを感情豊かに伝え合う 関係者たちを見て、手話の持つ歴史の重さを再認識した。 渋川市手話言語条例(案)に関する市民意見公募(パブリックコメント)実施結果 □意見等の受付件数:2人 2件
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